穏やかな瀬戸内海に寄り添いながら
パンを焼き、日常を楽しむ日々。

2024.09.30

大切にしたのは人の縁。心の赴くままに関東から瀬戸内の港町へ。
自分が「美味しい」と思えるパンを焼き、
お客さまを喜ばせるパン職人・小岩井竜二さんのこれまでを追いかけた。

風待ち、潮待ちの港町にふんわりと焼きたての香り

 江戸時代から昭和30年代まで、風待ち、潮待ちの港として栄えた歴史を持つ岡山県瀬戸内市牛窓町。近年はマリンスポーツのゲレンデとして人気で、温暖な気候を生かしたオリーブ栽培や、海に沈む夕日の美しさから「日本のエーゲ海」の愛称で呼ばれている。リゾート感あふれる界隈で、かつての歴史を感じさせてくれるのが「しおまち唐琴通り」。白壁や土蔵造りの建物が残された風情漂う街並みの一角には、ときに行列ができる人気のパン屋がある。「石窯天然酵母パン屋 オぷスト」だ。店主の小岩井竜二さんは埼玉県日高市生まれ。2012年に岡山県瀬戸内市に移住した。
 「当時は岡山県も、瀬戸内市も、まったく知らない場所。人の縁に導かれたかのように感じています」と小岩井さん。東京やドイツでパンやお菓子づくりの修業をした小岩井さんは、東日本大震災を機に東京を離れた。生まれてくる子のために、より良い環境を探してのことだ。最初に移り住んだのは知人がいた九州。幸いにもパンづくりの仕事に就くことができ、住居も確保できた。

新天地を求めて再移住 縁に導かれて瀬戸内市へ

自宅から数分のところにある牛窓オリーブ園。
穏やかな瀬戸内の海景が癒しになり、パワーを与えてくれている

 九州では人間関係に恵まれたが、一点だけ困ったことがあった。それは黄砂の飛来。「なかなか慣れることができず、そういう心配のない場所に引っ越そうと決めたんです」と話す。パートナーの維摩さんの祖父や姉一家が岡山県瀬戸内市に住んでいたことから、なんとなく決めた行き先。パン職人として働き始めたときから、「いずれは独立したい」という気持ちがあった小岩井さんは、引っ越しと開業を同時に決めた。2012年、瀬戸内市の北端に位置する長船に天然酵母のパン屋「オぷスト」をオープン。開業当初は天然酵母パンが珍しかったこともあり、店は想像以上の賑わいを見せた。しかし、数ヶ月して客足は落ち込み始めた。「いろんなアドバイスをいただいたが、自分が美味しいと思うパンをつくり続ければ、きっと受け入れてもらえる」と考え、ブレずにパンづくりに打ち込んだ結果、いつしか客足は戻り、また賑わいを取り戻すことができた。
 店舗は長船にあったが、住居は牛窓町の「しおまち唐琴通り」にあり、「日本のエーゲ海」を眺めながらの暮らしに心地よさを感じていた小岩井さん。たまたま住まいの隣に空き地があり、そこを譲ってもらえるという話が出た。港町として栄えていたせいか、ここの住人たちはとてもフレンドリー。そんな雰囲気に惹かれて、移住や開業をする人は増え始めていた。何より「この景色を眺めながら仕事ができたら最高に幸せだろうな」と、2020年12月に移転。この場所で、パン職人としての新たな挑戦が始まった。

天然酵母に合わせるのは地元産の無農薬栽培小麦

 小岩井さんのパンは、レーズンやライ麦、米麹を自家培養した天然酵母を使う。主役となる小麦は国産、全粒粉は地元の契約農家から仕入れる無農薬栽培のもの。移転前から、これらを石臼で挽いて使っていた。新店ではこうしたこだわりを貫きつつ、新たに石窯焼きを始めることとなった。「パートナーの父もパン職人で、僕の師匠の一人。『使っていないフランス製の石窯があるから、欲しいならあげるよ』と言われて、じゃあやってみるかと思ったんです」。
 石窯焼きは、薪をくべ、一気に温度を400度まで上げて、その後は下がっていく温度に合わせて違う種類のパンを焼いていく。内部の温度と生地の発酵のタイミングを合わせるのは簡単なことではなかったが、試作を繰り返していくうちにコツを掴んだ。
 朝4時から始まる作業が一段落するのは11時。ようやく店頭にすべてのパンが並ぶ。天然酵母を使った石窯焼きのパン屋としては珍しく、ポストハーベストフリー(※)のライ麦を使ったロッケンブロートからあんぱんまで、種類が豊富なのは小岩井さんの自慢。「誰もが気軽に足を運べる、そんなパン屋が理想」と微笑む。
 海なし県の埼玉で育った小岩井さんは、毎日、海を見るだけでテンションが上がるそう。パンを焼くことが何よりも好きで、趣味らしい趣味はないそうだが、ヨギーナである維摩さんにヨガを習ったり、夏はお子さんと海に飛び込んだり、近所の牛窓オリーブ園からの景色を楽しんだり、普段の何気ない暮らしのなかに、充実した時間が散りばめられている。いつの間にかたどり着いた瀬戸内海のほとりの港町で、これからも、小岩井ファミリーの穏やかな日常が紡がれていく。
※ポストハーベストフリー…収穫後の農薬不使用の作物

石窯を導入し、難しさとともに楽しさも感じているという小岩井さん。 その作業の様子は、窯や生地と会話しているかのように丁寧
小岩井 竜二 さん
1984年、埼玉県日高市生まれ。武蔵野調理師専門学校卒業後、東京のホテルで2年(製菓)、複数のベーカリーで3年間勤務。24歳でドイツにわたり、1年間、ヨーロッパのパンづくりを学んだ。帰国後、パン屋で働きながら結婚。2011年に九州、2012年に岡山県瀬戸内市に移住。同年、天然酵母のパン屋「オぷスト」を開業。2020年12月に現在地へと引っ越し、「石窯天然酵母パン屋 オぷスト」の店名で移転開業。

美味しくてやさしい、石窯天然酵母パンと出会える海辺のパン屋。

幼い頃、体が弱かった小岩井さんは、食への気遣いで体質を改善した。そこで、素材にこだわりつつ、何より「美味しい」と言ってもらえるパンづくりが信条。ベジタリアンやヴィーガン対応の商品も、大切にしているのは美味しさ。2階は維摩さんが主宰するヨガスタジオ「YUIMA YOGA」。スタジオの内装は無垢材や漆喰などの自然素材を用いており、壁面には「井戸水輻射冷房」を設置。

ヨガスタジオ「YUIMA YOGA」

DATA 石窯天然酵母パン屋 オぷスト

住所/岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓2895  TEL/0869-24-8636 営業時間/11:00-17:00
定休日/月・火・日曜日 HP/http://obst2012.com

KEYWORD

  • 環瀬戸内海地域交流促進協議会の取り組み

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